あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
ら り る れ ろ
や ゆ よ わ を
あ
挨拶やコミュニケーション(あいさつやこみゅにけーしょん)
人間は、スキンシップも感情表現もそれぞれであり、地形や状況で様々な種類を持つ。良くも悪くも、種族という枠に縛られない種族である。
エルフは、あまり接触コミュニケーションは豊富ではなく、言葉で挨拶を行い、そして、言葉で感情を表すことが多い。他の人に触れることは無遠慮で失礼なものだと考えているためである。
ドワーフは、その逆で接触コミュニケーションは過剰なほど豊富だが、感情表現のための言葉は非常に少ない。種族の特性といえるくらい照れ屋で、頑固なため。
ハーフリングは、スキンシップも感情表現も豊富で、やかましいくらい。これらが欠けているときは、心に何かやましいことがあるからだと思っている。
フェアリーは、挨拶や感情表現は、詩や歌、身振り手振りで表す。音楽というものを特殊視しているため。彼ら自身が卓越した言語感覚を持っており、種族的に優れた詩人である。
ハーフドラゴンは、感情は最大限に抑えることが美徳とされている(種族的に生来の癇癪持ちで、歴史的に見てもそれで失敗してきているからだと考えられる)ので、スキンシップも言葉も少ない。彼らが触れてきたり、何か心情を吐露するような場合、それはその人が余程の信頼を得ているときだろう。
ノームードゥは、その強靱すぎる肉体のため、どんなものに触れるのも、そっと、である。スキンシップは少ないわけではないが、抱擁やその類のものはあまりしないし、したとしてもやはり、そっと、だ。言葉を愛し、崇拝してさえいるので、感情表現は非常に豊か。
マインドフレイアは、滅多に他人と触れ合おうとはしない。かれらが触れ合おうとする場合、それはたいてい「知識を共有する」ことを意味し、それが転じて、「人格を共有する」こと、そして「人生を共有する」こと。また、その提案、すなわち「求愛行動」を表すものとなっているからである。
ほとんどのマインドフレイアは、他の種族にはその行為が別の意味を持つことを知っているので問題はないが、知っていることと分かっていることは違うもので、やはり、自ら他人に触れようとはしないし、触れられそうになると驚くし、もしかすると勘違いをするかもしれない。
アグニ・マンティスは、感情というものがほとんど欠落しているので、感情表現はほぼ皆無である。挨拶表現は存在し、たとえば触覚を触れあわせる行為は、人族の中での握手に相当する。
これらは、基本的にその種族の常識とされているものであって、必ずしもこうである、というものではない。
エルフの中にもスキンシップが好きなものもいるし、ハーフリングの間で育ったハーフドラゴンは、口やかましい性格かもしれない。ただ「基本的に」、「この世界の常識では」こうである。
い
う
馬(うま)
我々の世界の「馬」と酷似した性質、形成を持つ。
四本足で、歩く、走る能力に優れ、人族と親しみ、良き友人である。旅人の移動手段のひとつとして有名。
発祥はバーナード地方の民族で、彼らが飼育していたものが現在の“馬”になった。
昔から人族と親しんで暮らしてきたため、人族が普遍的に持つ“夢”を統べる力を潜在的に得ている。ために、他の“夢”と結びつき、その存在を“変異”させることが多い。
(他の存在と比べると多い、という意味で、頻繁に見られる事例というわけではない)
その例は、特に冒険者とともに行動するものに多い。かの英雄ロドムが乗騎として有名な“カークローズ=ホーン”もこの“変異体”であるといわれる。
馬の他にも、犬や猫、人族の友人(の動物)は、“馬”と同様の理由で“変異”を起こしやすい。
え
エルフ(えるふ)
お
か
神(かみ)
現在、慈母神や戦神などが人族たちの間に知られているが、これらは、「神を求める人族たちの想い(=夢の力)」が生み出した神々である。人族たちは、これらの神々も世界創造に関わったと考えているが、実際は、世界創造が行われた遙か後に、人族たちによって生み出されたのである。
現在は、ほとんどの神々は力を持っておらず、ただの信仰の対象、象徴としての意味しか持たない。
だが、人族たちの信仰の力は大きく、さらに時間を重ねれば、力を持った、威厳ある神々へと進化するかもしれない。世界の変容を起こす力が、“夢”(想いの力)にはあるからだ。
き
騎士・騎兵(きし・きへい)
(現実世界では、騎士とは、国王に仕え、働くことを代償に、その持つ土地を拝領し、統治することを認められたものを指す。そして騎兵とは、馬に乗って戦場に出る兵士を指す。この二つは混同されやすいが、それぞれ別のものであるし、騎士といっても必ず騎兵であるわけではない)
一般に、特定の様式をまとった職業兵士を指す。
騎士王国シルヴァードの制度では、「騎士」は、叙任時に少なくとも三名の騎兵を部下に与えられる(騎士自体は、必ずしも騎兵とは限らない)。その騎兵は騎士の直属となり、扱いは「騎士見習い」となり、将来的には主人と同じく騎士になることになる。彼らは、「騎士見習い」または「従士」と呼ばれ、公式の場では前者、それ以外の場で、さらに、ある程度の敬意を持って呼ばれるときは、後者となる。
儀式(ぎしき)
多くは、二人以上の魔術師が、特定の触媒を用いて執り行う「魔法の伝授の儀式」を指す。
魔法を行うためには、その組成を、論理とともに感覚的にも理解する必要があり、単純に口だけで教えることはできない。
そのため、この「儀式」が必要になるのである。
この儀式を経て、半ば強制的に、記憶と意識下にその「魔法の知識」を刻み込むことによって、魔術師は、未知の魔法を短時間で確実に習得することができる。
魔法の構成が複雑になればなるほど、儀式の内容も同様に複雑化し、必要な触媒は増える。
そのため、高度な魔法を習得するための儀式を願い出るには、非常に高い額の謝礼が必要になる。
く
け
こ
さ
し
獣化(じゅうか)
ライカンスロープが、自分の魂の中に眠る獣の魂を「起こす」ことによって起こる現象。
彼の中の獣の魂は、普段は人間の魂によって支配され、小さく抑えられている。
それに力を与え、大きくする。すると獣の魂はその勢力を増し、人間の魂を圧倒して、その器(肉体)にも大きな影響を与えることになる。すなわち、肉体の半獣化や能力の変化が起きる。それを獣化と呼ぶ。
獣化すると、「人間の持つ優れた部分」と「その獣の持つ優れた部分」が相乗効果を起こし、それが強靭で優れた肉体と神経、感覚を生むことになる。しかし、その状態だと、力を得た獣の魂が常に「暴れ」(自己を得ようとすること)るため、長時間は獣化することはできない。獣の魂に力を与え、それでいて抑えようとするわけで、その疲労も相当なものになる。
もしも、獣の魂が一定以上の力を得てしまった場合、獣人は完全な獣と変貌して正気を失うか、獣の魂が人族の器を打ち破って分離し、別個の独立した存在となってしまうかのどちらかである。前者の場合、獣の魂が大人しくなるか、今度は人間の魂が「暴れ」て肉体を取り戻すかすれば元にも戻れようが、後者の場合、獣人は、不完全な二個の存在へと分離してしまうことになる。片方は、僅かな獣の性質を持つ人間であり、もう片方は、僅かな人間の性質を持つ獣である。
半獣状態の場合装備品や持ち物はそのままだが、完全に獣化するとすべてどこかへ消え失せてしまう。
そして、獣化を解いたときに元に戻る。これは、完全に獣の魂を呼び起こした際には存在そのものが人間から獣に塗り替えられることによる。
獣化の瞬間を見ていたものがいたとすると、ある刹那に視界がぼやけ、次見えたものは獣そのものになったライカンスロープだろう。持ち物はどこにも見えない。
この現象は「ハナシノツゴウ」と呼ばれる。
なお、持ち物や衣服を消さない方が都合が良いときなどは、あらかじめ脱いでおいたりする必要がある。
獣人(じゅうじん)
→ライカンスロープ
神術(しんじゅつ)
神に忠実な信徒が、神に願いを請うことで様々な奇跡を賜ること。また、その技。
実際は、その奇跡は、術者の、神を信じて疑わぬ深い信仰の力が“夢”の力として作用して引き起こすものであり、言うなれば、神術を行使しているのは術者自身なのである。これも「想い」の力である。
魔術が、“夢”の力を間接的に利用して現象を起こすのに対して、まったき“夢”(想い・思いこみ)の力でなす現象である。
その性質上、深い信仰を持つものにしか行うことができないため、この技能を持つものは、たいていの人族から敬意を払われることとなる。
人族(じんぞく)
人間やエルフ、ドワーフなどを指す。
他に、亜人族というものもあるが、一般的に「人族」と口にする場合、その二種類を総称して述べるのである。
す
せ
そ
た
ち
つ
て
と
な
に
ぬ
ね
の
は
ひ
ふ
へ
変異(へんい)
“夢”の力を持つものが、他の夢の力と反応して、その形を変えてしまうことを指す。“変異体”とは、その変わってしまったもの。
“変異”したものは、その多くが元のものとは異なる異様な姿を持つことになるが、不思議と、その持つ印象は元のものを彷彿とさせるものである。
たとえば、元が馬であった“変異体”が、たとえ翼を持ち、足が増え角が生え鱗ができても、見るものが見れば「元はこういう馬であった」と説明できたりする。
一般によく知られた“変異体”で、長い時を経てすでに種としての存在を確立したものには、一角獣ユニコーンや聖白翼ペガサス(どちらも馬からの変異体)、老面虎マンティコア(虎の変異体。その始祖はある老人が飼っていた虎だという)などがおり、よく民間の伝承や説話にも登場する。
ほ
ま
魔術(まじゅつ)
“魔法”を行うための技術や知識を総称してこう呼ぶ。
「〜を学ぶ」=魔術の知識を学び、技術を磨くこと。
「〜を唱える」=魔法を導くために、魔術を行うこと。
魔術式(まじゅつしき)
術者が「世界」に解き放ち、そして「世界」に溶け込んで、指示されたとおりに世界の法則を書き換える、言うなれば「鍵」。
感覚で理解することしかできないが、きわめて論理的な組成を持つ。頭が良いとうまく扱えるのは、論理的な部分を強く持つがためである。
それぞれに寿命があり、寿命が尽きると世界に吸収される。すると、書き換えられた法則が自己復元され、元の通りになる。
魔法(まほう)
魔術師によって、定められた法則がねじ曲げられ、書き換えられて発生した現象。
「〜を行使する」=魔法を放つこと
魔力(まりょく)
創造竜の生み出す“夢”の力が、人族やあまたの生物の“魂”と結合、混ざり合って生まれたもの。
限りなく“夢”の力に近い組成を持つ上に、きわめて加工しやすい性質を持つ。魔術師は、それを利用して、世界の法則を書き換えることを可能とした。
(具体的には、術者は、自分の持つ(人族が普遍的に持つ)“夢”の力の類似性を利用して“魔力”を取り込み、それを“魔術式”と呼ばれるものに加工。それを放つことにより法則を改竄、魔法を発動させる)
本来は不可視のものだが、特殊の能力の持ち主には視認することができ、青白い蛍の光のように見られる。
世界に普遍的に存在するが、多少はあるし、ほとんど存在していないのと同然に、魔力が枯れているところもある。
“魔力”には、それぞれで相性が存在する。
相性が良ければ良いほど、魔力に対して敏感になり、悪ければ悪いほど、魔力に対して鈍感になる。
敏感であればあるほど、より強い魔術を組み上げ、力にあふれた魔法を行使することができるが、相手の魔法に対する抵抗力が落ちる。
鈍感であればあるほど、魔術を強く作ることができなくなり、魔法からも力がなくなっていくが、相手の魔法に対しても鈍感なので、害を受けにくくなる。
ただし、技術的には前者のほうが優れるため、「そもそも魔法を受けないようにする」(回避する)には、敏感であるほうが良い。
(相性の差とは、具体的には、能力値の魔力の値の差。これが大きいほど魔力との相性が良い。…というか、これは例えるならパソコンのネット回線の太さと、HDDの大きさ、メモリの性能のようなもので、太ければ太いほど情報(魔力)を同一時間で多く受け取ることができるし、データ(魔力)を溜め込むこともできるし、作業(魔術)もたくみにできる。ただし、魔力の場合、相性が良ければ良いほど、自分に害的な魔力や魔法も受け入れやすくなってしまう)
「〜が満ちている。豊かだ」=魔力の量が豊富なこと。
「〜が足りない。枯れている」=魔力の量が少なく、また、感じられないこと。
み
む
め
も
や
ゆ
夢・夢の力(ゆめ・ゆめのちから)
ラームナードは創造神たる竜サラトスが作り上げた大地に、その見る夢が重なって、混ざり合って構成される世界である。
その夢を作り出す力、維持する力、変える力を指して“夢”、または“夢の力”という。
世界は夢に関わる力を持ち、夢もまた世界に関わる力を持つ。
ちなみに、この“夢”の力が“魂”と混ざり合って変成したものが“魔力”である。
よ
ら
ライカンスロープ(らいかんすろーぷ)
一般に「獣人」と呼ばれる種族。
過去においては、「親が獣と交わったのだ」などと、「賤れた」存在であると広く思われていた。
実際は、人間の魂と動物の魂が、世界に遍く魔力を触媒にして、ほぼ同程度割合で混ざり合って、そのまま一個の存在として完成されてしまった結果、生まれた種族である。知恵を持って、人族として暮らしているそれは、偶然、人間の魂の方が割合的に多かったもの(または、後天的に多くなったもの)だけである。
獣の魂の割合のほうが多かったものは獣として生まれてしまうため、そのほぼ全てが、本来の能力を操ることも、活かすこともできないまま、獣として過ごしている。
数は少ないながらも、この種族が生まれてから長い年月がたっているため、中には、親が獣人であったとか、そういう「普通の」生まれ方をしたものも存在する。
獣人であることは隠そうと思えばできるし、知識や節度、教養のあるものは偏見では彼を見ない。
また、地域では聖なるものとして崇める所さえあるため、近頃では、獣人もあまり肩身の狭い思いをすることもなくなった。(といっても、忌まわしい存在だと思われる場合はやはり多い)
猫なら猫の、狼なら狼の性格や質に、当人の人格が影響されることが多く、まとう雰囲気も、やはり「それっぽい」ことが多い。
り
る
れ
ろ
わ
を